改訂版・鈴木ビネー知能検査の古市出版

鈴木ビネー法の歴史

  • HOME »
  • 鈴木ビネー法の歴史

鈴木ビネー法の歴史

原著者  鈴木治太郎 〈1875‐1966〉

1.草案作成期
(大正9年~大正11年)
2.第1次標準化実験
(大正11年~大正14年)
3.客観的根拠の検討
(大正14年~昭和5年)
4.第2次標準化実験
(昭和5年~昭和11年)
5.鈴木ビネー尺度の完成
(昭和11年~昭和16年)

《参考資料》
「鈴木先生と知能測定尺度」
米寿祝賀記念行事実行委員会編(ナニワ印刷)

◆鈴木治太郎博士の経歴

●1875(明治8)年4月14日、滋賀県大津市にて誕生。
●1897(明治30)年3月に滋賀師範学校を卒業後、滋賀県堅田小学校、県立彦根高女の教諭に着任
●1905(明治38)年3月、大阪府師範学校教諭兼訓導となる。
●1907(明治40)年7月、師範付属小学校主事
●1913年(大正2)、大阪府天王寺寺師範学校(現・大阪教育大学)教諭
●1917(大正6)年に大阪市視学に就任。
天王寺寺師範時代、「学業不振児」の判別指導を行ない、彼らのための特別学級を公立学校に設けることの必要性を文部省に提唱。
●1927(昭和2)、文部省から社会教育調査を委託されるとともに、大阪府からも児童の知能測定に関する調査を委嘱されて、本絡的な知能尺度構成の仕事を始めた。その後「鈴木ピネ一式知能尺度」の研究に専念した。
●1950(昭和25)年、長期にわたり実験修正を重ねて作り上げた業績に対して、京都大宇から文学博士の学位を受けた。
●1966(昭和41)年11月24日、大阪で逝去。

PAGETOP
Copyright © 株式会社 古市出版 All Rights Reserved.