改訂版・鈴木ビネー知能検査の古市出版

鈴木ビネー知能検査とは

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鈴木ビネー知能検査とは

鈴木ビネー法の知能観

suzuki-img鈴木治太郎博士は、鈴木ビネー法で測定しようとする知能の働きについて「A.ビネーはこれを判断と定義し、この判断をある時は常識といい、あるいは実行性といい、あるいは創始性であるといった意味は、ビネー法を利用する者の念頭におくべき重要なる言葉であると思う。私の解釈では、常識とは正常なる判断である。特殊な判断ではなく、正常な人々の正常なる判断と解釈する。また実行性とは、いろいろの事件に処して実行可能な力である。この実行性という言葉は、ビネーの測定しようとした知能は単なる口耳の智ではない。実行可能な実際的な能力であることを表現してあまりある言葉である。この実行的能力は、正常な確実なる判断の基礎の上に立つことを要求する。また最後の創始性というのは、人々が新しい事件に処してこれに正しく順応していく力である。」と述べている。(鈴木治太郎著より要約)

◆鈴木ビネー知能検査の特徴

(1)子どもの知能を、検査への集中力を維持しながら短時間で測定できる。
(2)問題に取り組む子どもの姿勢を尊重し、その特質を診ることを目的として、むやみに制限時間を設けていない

◆鈴木治太郎博士の経歴

●1875(明治8)年4月14日、滋賀県大津市にて誕生。
●1897(明治30)年3月に滋賀師範学校を卒業後、滋賀県堅田小学校、県立彦根高女の教諭に着任
●1905(明治38)年3月、大阪府師範学校教諭兼訓導となる。
●1907(明治40)年7月、師範付属小学校主事
●1913年(大正2)、大阪府天王寺寺師範学校(現・大阪教育大学)教諭
●1917(大正6)年に大阪市視学に就任。
天王寺寺師範時代、「学業不振児」の判別指導を行ない、彼らのための特別学級を公立学校に設けることの必要性を文部省に提唱。
●1927(昭和2)、文部省から社会教育調査を委託されるとともに、大阪府からも児童の知能測定に関する調査を委嘱されて、本絡的な知能尺度構成の仕事を始めた。その後「鈴木ピネ一式知能尺度」の研究に専念した。
●1950(昭和25)年、長期にわたり実験修正を重ねて作り上げた業績に対して、京都大宇から文学博士の学位を受けた。
●1966(昭和41)年11月24日、大阪で逝去。

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